伝統の小紋を現代カラーに染め変える 三橋工房 三橋京子
      

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    伝統と現代の融合 - 型小紋 三橋京子
    伝統の小紋を現代カラーに染め変える
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     1946年、東京生まれ。江戸型小紋の家に嫁ぎ、五代目義父榮三の元で一から修行し、型小紋作家として今日に至る。その特徴は、先代から受け継がれた伝統の技と沖縄紅型を取り入れた斬新な柄感覚にある。教育委員会賞、江戸川区議会議長賞、江戸川区長賞などを受賞。江戸川区無形文化財。
    もともと武士の裃(かみしも)の地紋として発展してきた小紋を、粋で洒落た着物の柄絵と発展させたのは江戸期の町人たちだった。その型小紋の技法を現代に伝えながら、沖縄の紅型(びんがた)のテイストを生かした現代の感性にジャストフィットした色遣いの作品を世の中に新たな小紋文化を定着させようとしているのが、三橋京子さん。その柄や色遣いが注目を集めている。
    武士の正装裃が小紋のルーツ
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     型小紋はもともと武士の裃として発達してきた。各藩がそれぞれ独自の小紋柄を工夫し、他藩との差別化を図ったのである。江戸後期には型彫り技術の発達により、そのデザインの精緻さがましてきた。
    やがて裕福な町人たちの着物や羽織に型小紋が取り入れられるようになってきた。それに伴って、洒落たデザインのバリエーションが広がった。裃がルーツなので、当初は男性の略服として用いられたが、それが次第に女性の着物へと浸透してきたのである。

    結婚式の翌日から修業生活に入る

     三橋京子さんが型小紋と出会ったのは、1968年のことである。
    「実家のお店が着物を扱っていた関係もあって、縁あって染めの仕事をしていた三橋家に嫁いできました。義父は型小紋5代目の職人気質の三橋榮三です。大学を卒業したばかりの夫と一緒に、それこそ結婚した翌日から修業生活に入りました」

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     当時は職人さん40名、お手伝いさん2名を擁するほど手広く事業を行っていた。その職人さんたちの世話をしながら、簡単な色刺しから修業を始めたのである。ところが10年後にご主人が亡くなり、社会環境の変化と相まって職人さんも徐々に減ってきた。ついには、義父のもと数名の職人さんと細々と仕事を続けるようになってきた。三橋京子さんが本格的に修業を始めたのは、このときからだった。

    「義父は本当の名人で、体つきから手の感じまでまったく違います。そこにいるだけで威圧感がありました。昔気質で叱咤の声に、身がすくみました。義母は心配して、『もう止めてもいいよ』といってくれました。しかし、子どもを育てるためにと、必死に仕事を覚えました。自分なりに仕事ができるようになったと思えるようになったのは、10年もたってからですね」

     染めの基本は「型付け」にある。型には癖があって、なかなかうまく染め付けられない。かといって職人さんの前で練習するわけにもいかない。そこで、みんなが寝た後や早朝に型付けの練習をしたという。
    「義父の叱り方は半端ではありません。『あの人に仕えられれば、誰にでも仕えられる』と周りからいわれたほどでした。だから、あまり教えてもらおうとしませんでした。しかし、ちょっと教えてもらったことが今になって、『ああ、そういうことだったのか』と腑に落ちるようになってきたのです。いまさらながら、もっといろいろ聞いておけばよかったと残念に思っています」

     技術が未熟なときには分からなかったものが、腕が上がってくるとともに次第に見えるようになってきたのだろう。

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    ミスの許されない神経を使う作業工程

     型小紋の染色作業には、イメージ(型紙決定)、板場、地入れ、染め、蒸し、水元、張手、湯熨斗(ゆのし)という作業がある。それぞれの工程とも小さなミスも許されないだけに、神経を使う。

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    イメージ(型紙決定)
     どんな柄をどんな色で染めるかイメージして、型紙を決めて「伝票」に記入する。三橋工房には約2万柄の型紙があり、三橋京子さん自身も新作をデザインすることがある。
    板場/地入れ
     約12mのホウノキの一枚板からできている長板に薄くのりを敷いてそこに生地を張る。型紙はあらかじめに湿らせておき、染める前にタオルで水気をよく拭き取っておく。張った布の上に型紙を置き、のりを置いていく。このとき、型紙の厚みにのりを引くのがコツ。のりは大豆粉とフノリを混ぜたもので「呉汁(ごじる)」という。三橋工房の特徴は、型付(かたづけ)の糊の二度付けにある。そうすることによって、染料がきれいにのるようになり、色のにじみがでない。何よりも白地が鮮やかになる。
    染め
     のりが乾いたら長板から生地をはがして、両端を張って伸子張でつるして、柄の大きさに合わせて小さな刷毛を使って色を刺していく。通常6、7色、多いときには18色にもなる。
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    蒸し
     蒸し箱に入れて100℃で蒸し上げる。これによって、のりを置いていない部分に色を定着させるのである。蒸し時間は色が濃いほど長い。真っ黒に染める場合には2度蒸しすることもある。
    水元/張手
     蒸し上がったら、水でのりを洗い流す。余った染料がほかに付かないように、手で大きく振って洗い流す。これが水元で、絞った後に張って乾かすのを張手という。
    湯熨斗
     生地を湯熨斗職人に出して整えれば染め上がり。反物になる。
    家のタンスには門外不出の傑作も

     天候によって仕上がり時間が左右される。湿度の高い梅雨時は、乾かないためほとんど仕事にならないという。1つの作品を染め上げるのに、40日ほどかかる。中でも手の込んだ小紋の振り袖などの場合は、3カ月がかりの作業になることも珍しくない。

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    「染め物は生き物ですから、なかなか思い通りにはいきません。それだけにイメージどおりに出来上がったときは、達成感を感じますね。中にはこれは絶対に手放したくないというものもあります。そんな作品ができたときは、内緒ですがしまってしまいます。実は昨年も大変な色刺しのいい作品が出来上がったのです。しかし、残念ながら注文による生産品でしたから、しまってしまうわけにはいきませんでした」

     三橋工房のある江戸川区では、年に1回展覧会を開催している。1999年には、区長賞を受賞した。「自分には出来栄えはいまひとつでしたが、思いがけず賞を頂戴できました」と謙遜するのも、技術の高みを常に追求している姿勢の現われといえよう。

     

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    顧客の生の声に新たな分野に目覚める
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     1990年に型小紋5代目の榮三氏が亡くなり、今後の方向を考えているときに、同業から百貨店での展示販売に誘ってもらった。いわゆる「職人展」である。

    「お客さんが目の前にいるわけですから、染めの評価がダイレクトに分かります。『三橋さんの染めはいいわね』といって、家まできてくれた人までいました。こうして自信がついてきましたし、仕事に一層の面白みを感じられるようになってきました。自然に、お客さんの声を反映した作品を作って反応を試したりするようになってきたのです」

     手頃価格でほかにあまりないようなものをと、半幅帯を持っていったりした。時には持ち込んだ約30本の半幅帯を完売したこともあるという。

    伝統の柄を現代の感性で色づける
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     三橋京子さんの作品の特徴は、江戸風の型小紋の技法に沖縄の紅型(びんがた)風のアレンジを凝らしていることである。 紅型はもともと琉球王朝の礼服として使われていたもので、鮮やかな色調と柄を強調する染めに特徴がある。

    「昭和初期には、三橋工房ではもっぱら浴衣を染めていました。あるとき問屋さんから義父に、紅型を関東風にアレンジした作品をつくるように依頼があったそうです。それを発展させた技術を受け継いでいるのです。ですから、わたしの作品の特徴は柄行と配色にあります。伝統の柄を現代的な色遣いで表現しています。今使えるものをつくることによって、使う人に楽しんでもらうと同時に、技術の完成度を高めていきたいのです」

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     もう一つの特徴は、型小紋の技法を使った新しい用途開発を行っていることである。「和服を着る人が少なくなってきましたから、テーブルセンターやのれん、袋物、洋装なども一部手掛けています」

    最近では、「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」の一環として、多摩美・女子美・東京造形大学の若い学生のアイデアを入れて型小紋のパラソルやミュール、ジャケットなども製作している。
    かつてはこうした作品を問屋さんに卸していた。しかし、問屋の経営が様変わりした現在では、自分で顧客の前に出向いている。それが、図らずもいい刺激になっているようである。

    「百貨店などで行われる“職人展”などに、多くて年間10回ぐらい出かけています。これからも染めを使った生活にとけ込んでいけるような作品づくりに力を入れていきたいと思っています」
    三橋京子さんによって、型小紋は新たな発展を遂げようとしている。

    (了)
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